介護のプロとは

介護と言うと4K(「きつい」「汚い」「危険」「給料が安い」を連想する人がたくさんいます。
実際、介護職が平均5年で辞めていくとのデータがあるそうです。
私は、介護に専門性が発揮されていないことがその原因だと思っています。
わが国では長年家族による介護が当たり前でした。高齢化だけでなく、要介護状態で長生きするようになったことから、介護の社会化をうたった介護保険が施行されたのが2000年です。
この流れから、介護の仕事は介護する家族の肩代わりだと考えている人が多数います。
この考え方からは、介護に専門性は生まれてきません。

私の家族が要介護になれば私は家族の介護者の役割を担うことになります。
つまり素人の私が明日から介護者なのです。
素人の肩代わりなら専門性がなくてもできて不思議ではありません。
私が将来介護してもらう必要ができた時、つまり自分で自分のことができなくなったとき、家族に私が満足する介護が出来るとは思いません。
私が受けたい介護は、自分でして来た自分へのケアが自分でできなくなったときに、自分がするのと同じかそれ以上にしてくれる介護です。

介護のプロとはセルフケアができなくなった人に、本人がするよりも快適なケアを提供できる職人ではないでしょうか。
私が認知症になって、こうして欲しいと言えなくなっても、私が満足するケアをしてもらえる。そんな専門家がいたら、残りの財産全てをかけてもその人に介護をお願いしたいと思うでしょう。

少なくても介護を職業にするのなら、セルフケア以上のケアができないうちは、
本人に出来ることは本人に委ねる賢さが欲しいと思います。
意思表示が言葉でできるのなら、その言葉に従う賢さが欲しいと思います。
言葉が出ない人でも、体が意思表示をしていることを忘れないでほしいと思います。

何かしてほしいことがあっても、この人にはしてほしくないということがあります。
心細くて誰かに抱きしめてもらいたいと思っても、嫌いな人に抱きしめられたいとは思わないように、「死んでもこの人にはしてほしくない」と思うことがあると思います。
歳をとり、社会との結びつきが少なくなると、生きなくてはならない理由が少なくなります。「食べないと死んじゃうよ」なんて脅しにもなりません。

大切なのは、あなたがいるから生きていたいというあなたの存在です。
生きる目標が見えなくなった時に、その目標になれる人に介護されたら幸せだと思います。

変わった人募集の波紋

ホームページの募集広告に「変わった人大歓迎」として、自分がどう変わっているか400字程度で記載したら理事長が直接面談します、と書いた。

残念ながら、400字の自己評価を書いて私との面接に臨んだ方は一人もいない。そればかりか、このホームページを見て辞めると言って退職する看護師が出現し、即刻消去せよとの要求が人事担当者からぶつけられる羽目になってしまった。

 「自分は変人ではない、ここで働いていたら友達から変人扱いされかねない。」と言うことらしい。

言葉足らずを承知で載せたコピーだが、このようにとられるとは・・・

正直なところ、説明が必要だとは今でも思っていない。

しかし、これ以上スタッフがいなくなってしまったら、私が看護に走り、ケアを行い、リハビリまでやらなくてはならなくなりそうである。それも困ったことであり少し説明を付け加えることにした。(本当は面白くないけれど)

 

「看護師に負けない医者」

 

医学で看護師に負けるようでは使い物にならないに決まっている。新人の医師のようにベテラン看護師に教わって医師のまねごとをするのは1年で卒業して欲しい。しかし看護師に負けないくらい患者の生活を見つめることのできる医者は多くはいない。

 

「ケアスタッフに負けない看護師」

 

 これも同じ、看護で競争してはお粗末である。医療処置など専門性が高くなればなるほど利用者を丸ごと人間としてみることがおろそかになり、利用者との人間としての1対1の付き合いが難しくなる。医療処置の無い患者さんへの訪問看護が出来ない看護師も少なくない。

 

「機能訓練が嫌いなリハスタッフ」

 

これも同じ。機能訓練のできないリハ専門職はいない(と思う)。私たちの目的は患者さんの幸せを実現することである。高齢の在宅患者さんの幸せを考えた時、機能訓練はそのための一つの道具に過ぎない。患者さんの幸せは人それぞれであって、機能訓練のゴールとは別である。その幸せの実現へのお手伝いがしてほしい。機能訓練が好きなひとは、機能の向上を夢見て、その人の幸せを受け止めそこなう時がある。

 

「起業したいケアスタッフ」

 

正直悩んでいる、ケアスタッフのステップアップでどれだけの収入を保障することが出来るのか。肉体労働はいつまでも続けられない(5歳の子供の力があればいいという新鮮な言葉に今新しい方向性を見出したいとは思っているが)どうしたら豊かな生活を保障できるのかと・・・

 

「スポーツおたく」

 

今や生活習慣病、ロコモティブ症候群・・高齢者を生き生きコロリに導く第一の力は運動であることがはっきりしつつある。職員は健康であってほしい。

 

「・・・おたく」

 

変わっていると人から見られることが多いであろう。

 

 

さて「変わった人」である。

 

あいち診療会は設立以来在宅医療の分野では制度になくても、利用者にとって必要なサービスについては先駆的に実践して提案してきた。

 

あいち診療会は医療の世界でイノベーション集団でありたいと考えている。

その意味で横並びに安心するスタッフだけでは前に進めないのである。

 

最後に「認知症になった私が伝えたいこと」を書かれたアルツハイマー病の佐藤雅彦さんの「おわりに」の一文を紹介する。

 

『私は、苦しみ、もがき続けた結果、何かに情熱を持って生きることこそが、 本当にすばらしいことだと気がつきました。

はたから見ればつまらなく思えるかもしれないことでも、やっている本人が 情熱を注ぎ込むことができれば、それで十分だと思います。

生き方は、人それぞれ違っていて当たり前です。むしろ、人と違うことに、より価値があると思います。

人間の価値は、「あれができる」「これができる」ということで決まるのではありません。

もし有用性で価値が決まるのなら、人生は絶望的です。なぜなら、人は年をとると、できることが少なくなるからです。』

 

私たちの主たる顧客は高齢者である。

変わっていることに不安を持つ人が、人の違いを大切にできるのだろうか。

 

辞めていった看護師は決して出来の悪い看護師ではない。

しかし私たちは去る者は追わない。

「よそで働き、ここの良さが身に沁みたらまた戻っておいで」

これが最後にお送り出す言葉である。

幸せの黄色い旗?

あいち診療会旗 昨年の暮れから診療所の屋上に黄色い旗が揚がっていることにお気づきでしょうか。
 高倉健の幸福の黄色いハンカチが印象に残っていて、その黄色いハンカチのまねをして黄色い旗を立ててみました。最近テレビ放送もされたようですがご覧になりましたか。

 

 病院の良さは検査設備が整っていること、複数の医師がいてその医師が一緒に考えれば 文殊の知恵につながること、看護師や検査技師などのマンパワーが豊富なことかと思います。しかし多くの人間が集まる組織になるといろいろな不自由も生じてきます。

 

 私は常々顔が見える人間関係こそが診療所の強みだと言ってきました。いつ行っても同じ人が迎えてくれる安心感が診療所の売りだと思っています。最近組織が少しづつ大きくなり小回りが利きにくいと感じてきました。(私の体と一緒?)自宅で開業していれば具合が悪ければいつでも診察することが可能ですが、組織として分業体制が出来上がってしまうと、外来診療を行うには最低3人が必要であり、外来を夜遅くまですることも困難になりました。「先生診てもらえる?」「いいよ、どうしたの」というプレハブ時代の気軽さが失われてしまいました。

 

 いつでも診察を受けられる安心感には及びませんが、医者がいれば診察を受けられると言う安心感が提供できればと思います。

 時間外診療

 普段多くのスタッフに支えられて仕事をしている医師が、事務職員や看護師がいなくてどこまでできるか、わかりませんが出来ることだけはして差し上げたいと思います。
 休日診療所の診療よりはましなことができるのかなと思います。

 

 私がいるか居ないかを屋上に黄色い旗を揚げることで知っていただこうと考えました。しかし上げ下げが大変なことがわかり少し修正しました。
 夜間は旗が照明されていれば医師がいます。
 昼間は(外来時間以外です。)ブルーの回転灯を回します。体調が悪くて困った時には、旗が明るいか、回転灯が回っているかどうかみてください。

家で看取る

 あいち診療所はもともと在宅医療を行う目的で開設されました。この22年間で私たちが在宅でかかわった方はおよそ1000人になります。家で看取らせていただいた方は約300名、そのうち半数が悪性腫瘍の方でした。

あいち診療会の在宅患者様の転帰 悪性腫瘍で私たちがかかわった方の6割の方がそのまま家で最期をお迎えになりました。
 悪性腫瘍でない方のうち、家でそのまま亡くなられた方が約2割であることと比較すると悪性腫瘍の方の方が家で看取りやすいと言えるかと思います。

 その理由はいくつかありますが、その主なものは期間が限定してご家族ががんばれるということ、病院でできることに限りがあり、高額な医療機器を使用した検査や治療の恩恵にあずかれないことが挙げられます。

 私は多くの悪性腫瘍の患者さんとお付き合いさせていただき、悪性腫瘍の終末期は病院よりも家の方がいいと思っています。その最大の理由は家族が生活をしながらそばにいられるということです。病院の病室に付き添って身の置き所のなさを感じたことがある方は少なくないのではと思います。

 ご家族との時間を過ごすとき、何もすることなくそばにいるということは日常生活の中でほとんどありません。心細い時にそばにいてほしくてもベッドサイドにすることもなく座っていられたら患者さんも落ち着かないのではと思います。

 もしも大切な方の残りの時間が少ないと宣告されたのであれば一度家で看ることも考えてみてはいかがでしょうか。
 病院では一人の看護師が7人の患者さんを診ています。逆に言えば7分の6の時間は患者さんは一人です。家ではたいていどなたかがそばにいて差し上げることができるのです。

 私達はそのお手伝いをさせていただきます。

へばったらがんばれ

 昔私がバスケットボールをしていたことは以前に書いた。実はそのころのコーチは実の父だった。その父の口癖が「へばったらがんばれ」だった。もうすでに90歳で他界して来年は13回忌を迎えようとしている。いまだにクラブのOB会(卒業生の会)では「へばったらがんばれ」が一つの合言葉になっている。

 何かとスポーツの世界では根性論がもてはやされる傾向にあり、根性論はスポーツ科学やスポーツ医学に対立する考え方としてとらえられることが多い。「へばったらがんばれ」というと根性論のように響くが私たちが教わったのは少し違うように思う。

 「へばったらがんばれ」は次のように説明される。

 力量の違う相手との勝負は自分たちが強ければ疲れるほど頑張る必要はなく、相手が強ければ疲れるほど戦わせてもらえない。問題は力量に差がさほどない場合である。その場合、勝負に決着がつくのは試合の最後であり、その時には必死で試合をすすめた結果としてどちらのチームも疲れ果てている。その時に頑張れるかどうかで勝負は決まるのである。

 練習は試合で能力を発揮するために苦手なことを克服し、得意なことをさらに上達させることを目的に行われる。

ではへばった時に能力を発揮するための練習はいつ行えばいいのか?それはへばった時でしかない。へばった状態を作るのには大変な努力を要する。その大変な努力をしてせっかくへばったのにそれを利用しないことほどもったいないことはない。つまりへばった時に頑張らなければ損だろうというのである。私はこの言葉を素直に受け止め、練習の途中の休憩、終了時に水を飲みに行く前に必ずフリースローを2本投げた。

 人生へばって投げ出したくなることがいくらでもある。そんなときにへばったらがんばるという経験をしたことはとても大きな財産になっている。

 最近の内閣府の調査では自殺を考えたことのある人が4人に一人いるという。特に若い人に多いという。うつ病と自殺には深い関係があり、うつ病の人に頑張れと励ますことは禁句であることはよく知られている(?)。そうなる前にへばったらがんばれを体験しておくことをぜひ勧めたい。そして、頑張れないときにはヘルプ!と叫ぼう。何もしてあげることはできなくても、話を聞いてそばにいることぐらいはできそうである。

スポーツマンシップ

 オリンピックが始まり、最近は寝不足の日が続いているのではと皆様の健康を心配します。
 ウィキペディアには「スポーツマンシップは、スポーツのルールを遵守してゲーム(競技)を行っていくうえでの根本的な姿勢をいうものである。広義では、スポーツを行う上での品性ないしマナーということができるかもしれない。」とあります。

 高校野球の開会式では「スポーツマンシップにのっとり正々堂々と戦うことを誓います」なんて言ったりしますね。私は学生時代バスケットボールをやっていました。当然試合では正々堂々と戦います。しかし勝ち負けにこだわらないスポーツなんて想像がつきません。シュートをしないふりしてシュートする。右に行くと見せかけて左に行く、相手をだまして出し抜くことによって得点を増やし失点を少なくする。所詮スポーツはだましあいです。間違いなく目的は相手に勝つことです。相手がシュートをしやすくなるようにしていたらスポーツにはなりません。

 私にとってスポーツが面白いのは、とことん相手をだまし、打ち負かしても褒められることがあってもけなされることがないからです。これは実際の社会生活では許されません。スポーツにはその試合の時間にだけ適用される絶対的なルールがありそれを判定する絶対的な権限を持つ審判が居るのです。お互いが勝とうとしない試合を見せられることほど不愉快なことはありません。バトミントンの試合で勝とうとしない試合をしたとして中国、韓国などのチームが失格になりました。バトミントンには真剣に勝負しなければいけないというルールがあるそうです。世界選手権の時のなでしこジャパンは美しかった。今のなでしこジャパンは美しくない。それはゲームをひとつづつ真剣にするのではなくオリンピックを金メダル取りのゲームにしてしまったからです。

 ある政党の党首選の後、選挙が終わったらノーサイドにしましょうといった人がいます。ノーサイドとはラグビーの試合終了のことを表わす言葉です。反対のサイドに分かれて戦うけれど、試合が終われば敵味方はない《だましあいをする関係から友好的な関係に戻る》という意味です。私たちには社会生活を送るうえで守らなくてはならないルールがあります。法治国家ではそれが法律であり、その法律を作るのが国会の役割です。法律はスポーツのルールほど絶対的ではなく、私たちの生活の中には法律の番人としての審判はいません。ルールを守りさえすればどんなだましあいをしても許されるスポーツとは全く違います。(もっともロードレースのように審判が絶対的でないとだましあいには制限が付き一般社会の常識が適用されることになるわけです)法律がいかに不完全なものかを知っているのはそれを作っている国会議員に他なりません。政治をスポーツと混同するような国会議員であれば、「法律に違反していないのに何が悪い」という考え方になっても不思議はありませんね。

 スポーツマンシップとは、ルールが明確で勝負すべき時には手を抜かずに勝負し、ルールが不明瞭で抜け道があるときには善意と思いやりを持って、弱い者いじめをしない、そんなけじめがつけられることなのだと思っています。

いい加減な医療

 「いい加減」は大辞林によれば
( 連語 ) よい程度。適度。よいかげん
(形動) ほどほどにしたいさま。もう―にしろよ
無責任なさま。でたらめ仕事がいつも―だ
徹底しないさま。中途半端。―なことでは白状しない

とあります。あいち診療所の医療はいい加減だ、これは褒め言葉でしょうか、けなし言葉でしょうか。
 最近前立腺がんが血液検査PSAで診断できると言って盛んにスクリーニング検査が行われています。私もご希望があれば採血のついでに検査に出したりしています。

 前立腺がんは年齢とともに罹患率が高くなることが知られています。年々罹患率が上昇していることも言われています。しかし75歳から79歳の人で前立腺がんの診断のついている人は1000人中2人強でした。実は亡くなった方の解剖によってはじめて前立腺がんの存在が見つかった方が20%(1000人中200人)もいるとのことです。この方たちは前立腺がんはあったが知らずに寿命をむかえた人です。アメリカでは80歳以上の人の3分の2に前立腺がんがあったという研究もあるそうです。

 PSAの検査で癌が疑われると、前立腺の生検をしましょうということになります。治療せずにいても寿命まで元気にしていられる人がたくさんいるのにどこまで一生懸命病気を探さなくてはいけないのでしょうか。
 そろそろ医療機関にはいい加減を期待してもいいのではないでしょうか。

 

 生活習慣病には食事療法が大切です。最近は子供を育てないで、ペットを大事にする家庭が少なくありません。獣医さんがよくペットフード以外は食べさせない方がいいと言います。私は猫のケムに『Hills』の食事がいいと言われて高い金を払って買い与えています。(私は会社から一切お金は頂いていません)こんな話を真に受けておいしいご飯を食べさせてあげてない方がたくさんいるのではと思います。(ケムは外に出かけネズミを食べたり、鳥を捕まえたりもしています。)

 私たち人間はいろいろなゲテモノを探しておいしいと言って食べています。河豚のキモなどその最たるものです。私も先輩の医師に連れられて、ふぐ料理屋で「こいつは麻酔科医だから大丈夫。肝を食べさせてやってくれ」と紹介されおいしく頂きました。帰りの車を運転する時手がビリビリしびれていたのは気のせいだったのでしょうか。麻酔科医だって自分の人工呼吸は出来ないのにね。栄養学的に完璧なマンフード(マックじゃないよ)があって、毎日それを食べて生きるのって…堪らん。こんなことを書くのもいい加減にしておきましょう。

つながりあう街づくりを

今までの歩み

 私は医学部に進む時、無医村に行き医者をやるという目標を立てました。卒業したころ、総合診療科と言うものはなく自分なりに考え、命をつなぐことができるようにと麻酔科を、そして変化が激しく抵抗力が弱い子供に対応できるようにと小児科に、大人で勝負が早い循環器をと別々の病院で無医村に行く準備をしていました。そんな中で働いたのが瑞穂区にある新生会第一病院でした。そこで往診してくれる医師がいない為に家に帰れない患者さんの主治医となり、在宅医療が私にとっての無医村となりました。病院で在宅医療に取り組み始めて3年目に作ったのがあいち診療所野並です。
 当時私たちの患者さんは天白区だけではなく、北区、中川区、大府市、長久手町まで分散していました。あいち診療所野並は地域を面でみる診療所と言うよりは患者宅と診療所が結ばれる点と線の診療所でした。
 2002年滋賀県浅井町(現長浜市)の国保診療所の老医師が廃業することで無医地区が出来るとの話を聞き、昔の思いと重なりその応援を約束してしまいました。その事で当診療所へのかかわりが薄くなり今日に至っています。 滋賀県ではその地域全体の医療を担うという役割があり、また地域の結びつきには非常に強固なものがありました。
 この4月から滋賀県には地元出身の医師が常勤で入ることが決定し再びここに戻ることに決まりました。

 

これから

 日本は世界に類をみないスピードで高齢化を迎えています。医療福祉の充実のために増税が必要との議論がありますが、むしろこれから増え続ける要介護者に対応するマンパワーをどうするのかが課題になっています。
 ところで、日本の多くのサラリーマンは、自分の住んでいる地域に絆を持たないことが少なくありません。私は「定年後の人生を地域で生きよう」と提案したいと思います。定年後は地域で高齢者に対する支援事業に参加するのです。その活動を通して地域での絆がつながっていくのではないでしょうか。そうして、今度は自分が介護を受けなくてはならなくなったときに、その絆によって今度は支えてもらう。そんなしくみが必要ではないでしょうか。
 お金を強制的に取られて保険に入り限られたサービスを利用して細々と生きる。(今の介護保険)よりはるかに人間味のある仕組みではないでしょうか。
 私たちは、これから地域の定年後の皆様と何ができるか、を考え続けていきたいと思っています。